止まっているもの
Y氏が音響について万福さんと
対談している音声を聞いた。
上辺のシステム、
そして中身が削られたデジタル音。
そんな話しを聞いていると
昨年、家族で高熱を出し
レトルト食品で難をしのいだ時を思い出した。
食べられるだけでありがたいのだけれど
どれも「止まってる」と感じ
熱が落ち着いてくると
生きてる食べ物を無性に食べたくなった。
最初に食べたのは枝豆。
枝付きを買い、茹でて食べた。
止まってない。動いている。
つまり生きている。
それは止まっている食品の
何百倍も情報量がぎっしり詰まっている感じで
あまりの差に驚いたものだ。
今は食にしても音にしても
生き方にしても
便利で手軽が先の世の中は
何かが「止まっている」のかもしれない。
スカスカなものを
でも便利だからと採用しているのかな。
それはちょっと寂しいな。